1945(昭20)年8月9日午前11時2分
長崎市に原子爆弾が投下され、多数の犠牲者を出した
佐世保に向う途中、雲の切れ間からくっきりと町が見えたので
ここ、長崎市に投下したとか
山と海が入り組んだ長崎という変化にとんだ地形にて
原爆の実験を試したかったなど
色々な説はあるが
してはならない実験が行われた
1946(昭21)
長崎市、戦災復興土地区画整理区域決定
1949(昭24)年
爆心地公園に原爆資料館開設
長崎国際文化都市建設法案、国会で可決・成立
長崎市長が「平和宣言」を発表
1949(昭24)年:戦災復興を目的として市内松山町に競輪施設を設け
長崎市主催にて長崎競輪が初開催される
翌、1950(昭25)年:競輪場に接した敷地に”国際平和公園”が開園される
その平和公園では
毎年8月9日の長崎原爆の日(長崎原爆忌)に
平和祈念像前の式典広場にて原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催されるようになった
隣接する競輪場を好ましく思わない人たちもいたのか
県から”国際平和公園”周辺は競輪場でなく
その他のスポーツ施設の建造が好ましいとの要望もあがる
1965(昭40)年:統一地方選挙で勝った諸谷義武市長は選挙において競輪事業をやめる選挙公約もしており
1966(昭41)年:市は移転先も決めぬまま、競輪場移転の為の休止を決定し
事実上の廃止に至る
競輪場敷地は現在、市営ラグビー・サッカー場となっている
長崎県長崎市松山町
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